GREENS CORPORATION

ARTIST INFORMATION

憂歌団(木村充揮・内田勘太郎・花岡献治・新井田耕造)

 

PROFILE

1970年
内田勘太郎(G)・木村秀勝(Vo,G)、高校の文化祭で二人組「憂歌団」でデビュー。
 
1973年
京都でブルースがブームとなり憂歌団も活躍する。京大西部講堂に初出演。
 
1974年
憂歌団に島田和夫(Dr)・花岡憲二(B)が加わる。関西にブルースブームが爆発。
上田正樹とSouth To South、West Road Blues Band、Blues House Blues Bandなどのエレクトリックブルースバンドに混じって
アコースティックブルースバンドの魅力を強調する。
 
1975年
10月1日トリオレコードからシングル「おそうじオバチャン」でデビュー。
赤丸付でチャートインする。が、しかし、1週間後に突然「放送禁止Aランク」の指定を受け、有線放送からも締め出しをくらう。
しかし、11月1日に発売された「鬼気せまるヴォイス、圧巻のボトルネック、幻の憂歌団その真実とは…」というキャッチコピーで
発表された ファーストアルバム「憂歌団」は大好評を博した。

1976年
11月、帝塚山、奈良女子大、嵯峨美大、京大、一ツ橋、同志社、桃山学院、近大、神戸大、関西学院、阪南大・・・
名実ともに学園祭キングとなる。
12月、伝説のブルースマン「スリーピー・ジョン・エスティス」と全国ツアー。
 
1978年
4枚目のアルバム「四面楚歌」発表。記念コンサートにタモリ、内藤やすこがゲスト出演。
この頃タモリがオールナイトニッポンで憂歌団をかけまくった。

1979年
神代辰巳監督作品「赤い髪の少女」(原作:中上健次)の音楽を担当する。

1980年
来日したブルースの巨人「マディ・ウォーターズ」と東京・大阪でジョイントする。
1983年
フォーライフレコードに移籍。

1985年
関西テレビ「今夜は眠れナイト」にレギュラー出演する。
 
1986年
大阪市との姉妹都市シカゴへ渡米。「シカゴ・ブルース・フェスティバル」に日本人としては初めての出演。堂々のアンコールを受ける。
 
1990年
憂歌団オフィスを設立。初代社長に花岡献治がジャンケンで就任したのはあまりに有名な話。
木村秀勝、新大阪駅のホームで突然、木村充揮に改名宣言、一同面食らう。続いて花岡憲二も花岡献治へ改名。
スタッフは各方面の伝達の奔走する。

1991年
「胸が痛い」アコースティクバージョンをシングルリリース。古舘伊知郎の「どうにもゴタク族」のエンディングテーマに採用。

1992年
3月〜6月ベストアルバム「17/18oz.」をひっさげて、憂歌団としては初の全国18ヶ所ホールツアーを敢行。

1993年
ワーナー・ミュージックに移籍。
崔洋一監督作品映画「月はどっちに出ている」のエンディングテーマに「WOO CHILD」が起用され映画と共に公表を博す。

1994年
TBS筑紫哲也「ニュース23」にゲスト出演とともにエンディングテーマに「風を追いかけて」が起用される。

1996年
テレビアニメ「ゲゲゲの鬼太郎」が新しく放送されオープニング・エンディングテーマを憂歌団が担当。
「ゲゲゲの鬼太郎」第3話「妖怪さら小僧」に憂歌団が登場。アフレコも本人達が担当する。

1998年
憂歌団、突然の休業宣言、休眠に入る。